あなた、もしくはあなたの身の周りにこんな人はいないだろうか?
「すごくいい奴なんだけどモテないよね」
「あの子って残念だけど都合の良い女だよね」
「人は良いんだけど付き合うタイプじゃないんだよな」
お人よしは損をして、憎めない奴が得する世の中
だから典型的な「いい人」は、人から嫌われることはなくても、特定の人から好かれることもない、非常に残念な存在である
私はお人よしやいい人とは、誰かのメンタルケアをするボランティアでしかないと思っている
人の話をよく聞いてくれるため、話相手としては良いかもしれないが、何も特別なものを感じたことがないからだ
ここでは、「お人よし」や「いい人」にはメリットがないことを伝えた上で、どうすればそこから離脱できるか?について、お話する
人から嫌われるのは怖い
でも、それほど好かれていないことを知った時の方が、よっぽど怖いと思う
優しくも時には厳しく
いい人はとにかく優しい
言葉遣い、表情、仕草にまで優しさが溢れていて、その優しさは人を超え、虫や動物に対しても同じだ
何に対しても優しい人は、悪い所が見つからないかもしれない
ではどんな面でメリットを感じられないのだろうか?
私の知っているただの優しい人に共通して言えることは、とにかく「イエスマン」なところ
「実はこんな話があって・・」
『うんうん、聞くよ』
「〇〇に困ってるんだよね・・」
『そうなんだ。なにか力になれる?』
誰かに相談する時は、まずはとにかく聞いて欲しいという願望と、他人の意見やアドバイスを求めている
それなのに、どんな話を持ちかけても「そうだよね。」とか、「うんうん。」と相槌を打たれるだけでは、話している意味がない
仲の良い友人だから話しているのに、全く話が進まず一方通行だとしたら、専用の相談窓口へ電話をするなり、教会へ行って懺悔した方がマシだ
だから優しいだけでは意味がない
本物の優しい人間は、しっかりと意見し、厳しく答えてくれる人
ちゃんと話を聞いているなら、自分の意思を伝え、同意できないことだってあるはず
聞いていない人こそ、適当に相槌を打って、分かっているフリをしているものだ
余計な気遣いは重い
気遣いのできる人と、そうじゃない人はいる
後者の方はここでは論外なので割愛するが、とにかく何でも気遣いできる人がいる
様々なところに目が行くということは素晴らしい
誰も気付かないところ、気付かなければいけないことに気付かされるからだ
しかし、至るところで気を使っていると、「したいことができないのでは?」「疲れないのかな?」と、見ていて不安にしか思わない
更に言うと、その気遣いが重く、うっとおしく感じることもある
わざわざそこまでしなくていいのに。と、不快感が生まれてしまうのだ
だから気遣いは適度でいい
常に気遣いする必要はないし、周りもそれほど求めていない
気遣いばかりしている姿を可哀想に感じてしまうし、慣れてしまうと気遣いが普通になってしまう
だからこそ、なりふり構わず気を使うことはマイナスとなることを知った方が良い
親切に見返りを求めている
人は少なからず、見返りを求めて行動をしている
仕事で人を紹介したり、ご飯をご馳走したり、日々の生活の中で見返りというものは存在しているのだ
「一日一善」というという4字熟語があるが、その言葉の裏には、「良いことをすれば良いことが返ってくる」という見返りが存在している
だから意識的に良いことをしようというのは、私は偽善でしかないと思っている
親切だってそのひとつだ
良いことをしようと心に秘めていたら、それは屈折した、見返りを求めている親切という言葉を使った行為でしかない
いい人ぶっているやつに限って、親切をしようとしているのが見てわかる
「普段はそんなことしないくせに」
「自分に対してはしてくれないくせに」
と、きっとあなたの周りにも1人はいることだろう
自然に親切な行いができる人ほど、何も見返りを求めず、そして無意識に行動に表れているものだ
もし自分が親切をしていると自覚しているなら、それは大きな勘違いだ
本物は自分は親切をしているんだなんて、微塵も感じていないのだから
優柔不断か、決断力があるか
いい人は人の意見を尊重し、同調を求める
自分勝手な行動を慎み、「そっちがいいかもね」「あなたに合わせるよ」などと、相手の出方を伺い、決断を委ねる傾向がある
それがたまにだったり、グループ内に立場のある人がいたりする場合は構わない
しかし、常にそれではいい人とは言えない
しっかりとした意見を述べれないのは、ただの都合のいい人だ
そうならない為には、嫌なことは嫌、間違っていることは間違っていると、時には反論し、自分の考えを相手に伝えること
またダラダラと話が前に進まない場合には、「〇〇したらどうだろう」「試しに〇〇にしてみよう」と、場の空気を読み、リーダーシップをとったり、ポジティブな意見を述べてみよう
優柔不断とは、ただの都合のいい人だ
そうならないためには、ブレない芯を持って接するべき
すると他人の意見に左右されることなく、また意見を尊重し、ただのいい人から脱却できることだろう
愚痴を言う人は八方美人
いい人は裏表がないように感じる
いつも優しい笑顔だし、人当たりもよくて、嫌な顔ひとつもせずに、誰にでも満遍なく接することができるから、対人関係に悩んでいる人からすれば、いい人ほど羨ましいものはないだろう
しかしいい人は、常にこのポテンシャルでいられるわけではない
本当の自分の気持ちを伝えることが出来ず、いつも相手に同調しているばかりで、ストレスはどんどん溜まってしまい、1人になった時や、気持ちを打ち解けられる人の前では愚痴ばかり垂れているのだ
だからいい人には八方美人で愚痴っぽい人が多い
実際に私の周りにも何人かこのような人がいる
彼らの話すことに対し、色々と受け答えをするものの、私の意見など聞く耳を持たず、自分が抱えているイライラと愚痴しか出てこない
いい人であることが反対にマイナスになっているのに、この手のタイプは頭でっかちで、なかなか手強いのが事実だ
別のところで愚痴を言うのは、二面性があるということを知って欲しい
いい人である反面、偽善者の顔を持っているのだ
器が小さい人はいい人ではない
最後に、「この人いい人なのかな?」と思った時に、相手の行動をじっくり見てほしい
「ほんと気が利く人だけど、なんかイライラしている」
「友達には優しいけど、他人には態度がでかい」
「気付いたら自分の話ばかりしている」
もしこのような行動を取っていたら、いい人そうに見えて、実は、器の小さいしょうもない人間の可能性が高い
なぜなら本当のいい人は、必ずと言っていいほど器が大きいからだ
器の大きい人は、感情のコントロールが出来て、横柄な態度を取らず、人の言うことにしっかりと耳を傾け、ストレスを溜め込むようなことをしない
どんな場所でも、誰に対しても、変わらぬ姿勢でいるのだ
だから、感情や行動にムラがあるようなら、その人はいい人ではなく、いい人ぶっているニセモノだろう
あなた自身も同じような傾向があるのなら、そんなものさっさとやめて、自分らしく、自然体でいるよう心がけて欲しいと思う
きっとその方が、例え少人数でも、特定の人から深く愛されるはずだ